お取り寄せ
パンフレット
松浦
資料館・神社・社叢
松浦市立埋蔵文化財センター
鷹島エリア
紹介ムービー有

蒙古襲来終焉の地「鷹島」。松浦市立埋蔵文化センターでは、海底に埋もれた遺物を引き揚げ、保存処理と分析・研究を行い、展示・公開をしています。   ...
福島歴史民俗資料館
福島エリア

伊万里湾に浮かぶ福島は明治初期から石炭採掘が進められ、農業・漁業とあわせ裕福な島であった。明治39年の文学博士井上円了先生の歌に「海につり、山に...
浅谷七郎神社社殿
福島エリア

福島町内にある六社の七郎神社のうち代表的な神社。祭神は、七郎氏広命、十城別王命、鴨一隼命の三神。社殿は造りが見事でよく保存されている。 市指定有...
浅谷七郎神社社叢
福島エリア

浅谷七郎神社社殿の裏手によく発達している。 神社の境内にクスの大木がある。目通り幹まわり2.8mである。美しい樹形を保っており、樹勢もよい。昔から浅...
福寿寺の三十三観音像
福島エリア

福寿寺本堂入口の直ぐ右手の池の端に立っている多仏石憧である。明金智触という人物に対する供養塔である。三十三尊は観音菩薩であるから、この種のものと...
福寿寺のイロハモミジ
福島エリア

イロハモミジは、南日本と朝鮮半島の山地に自生するが、広く栽培されて、多くの品種ができた。カエデ類のうち、葉はいちばん小形で可愛らしい。 このイロ...
福寿寺の本尊
福島エリア

市指定有形文化財・彫刻 平成21年9月30日指定
七宮神社社叢
福島エリア

里免字神ノ上にあり、イロハ島を見下す、絶景の社である。菅公以下七神を合祀し七宮神社という。境内には文化三年(1806)の石段、文政十年(1827)の手洗鉢...
今山山桜
福島エリア

今山神社前の町道の路肩にあり、目通り幹囲約1.8m、高さ約13mである。花の色は白、新芽は茶色で無毛である。花は束で球状に集まり、花の時期は早咲より2...
今山神社社叢(いまやまじんじゃしゃそう)
福島エリア

この社叢は、スダジイを主とした自然林で、その大きなものは目通り幹囲3.35mもある。 このほかに、アラガシ・モチノキ・ナナメノキ・イヌグス・ヤブツバ...
今山神社の懸仏
福島エリア

今山神社の創建は、はっきりしないが寛文4年(1664)年再建されたとあるので、少なくともそれから百年くらい遡って考えてもよいかもしれない。 懸仏は平安...
原稲荷神社のクス
福島エリア

原の稲荷神社の境内にクスの巨木がある。目通り幹囲4.8mあり、福島町内で最も大きいクスである。 稲荷神社は元文二年(1737)二月創建、相殿として牛神社...
今宮神社・広久山満福寺
鷹島エリア

元寇で鷹島を守るために活躍した第14代松浦答の墓や五輪塔、宝筐印塔が無数にあります。境内には樹齢450年といわれる大銀杏があり、昭和32年に長崎...
山崎の大蛇退治の伝説
松浦エリア

昔ここに天然の池があり、1頭8尾の大蛇が住んでいました。娘を大蛇に呑まれた両親が池の端を切って水を川に流すと、大蛇が現れて風雨が激しくなったため...
松山神社
松浦エリア

(まつやまじんじゃ) 欽明(きんめい)天皇24年(563)、不老山嶺に不老権現を祀り、大宝2年(702)役小角(えんのおづぬ)が高野・松山田・庄...
今宮神社
松浦エリア

(いまみやじんじゃ) 松浦党党祖、久(ひさし)公を祀る神社で、寛文(かんぶん)9年(1669)宗家松浦20代信貞公が建立されました。鳥居も信貞公...
宗家松浦丹後守家累代の墓(旧宛陵寺跡)
松浦エリア

この墓地はもともと松浦党党祖、久(ひさし)公の館跡でした。久公死後、仁平(にんぺい)2年(1152)、天漸院(てんぜんいん)という寺が建立され、...
今福神社(歳の宮)
松浦エリア

(いまぶくじんじゃ(としのみや)) 応徳(おうとく)元年(1084)、松浦党党祖・久(ひさし)公が、ぎぎが浜上陸後、滋賀県多賀(たが)の大明神の...
護舜寺
松浦エリア

(ごしゅんじ)  秀吉の朝鮮出兵の際に、平戸松浦26代鎮信(しげのぶ)公に従って朝鮮に渡った正守(しょうしゅ)大和尚は、帰国後も敵味方の区別なく...
慈光寺の金銅阿弥陀如来坐像
松浦エリア

(じこうじのこんどうあみだにょらいざぞう) 県指定有形文化財 平成20年2月22日指定 昭和58年(1983)、境内にある池の大掃除の際に発見...
妙音寺金銅観音坐像(渡来仏)
松浦エリア

(みょうおんじこんどうかんのんざぞう(とらいぶつ)) この観音坐像は、平戸瑞雲寺の末寺で明治の廃仏毀釈により廃寺になった牟田の慈眼寺より本寺に...
旧金泉寺の銅造如来坐像
松浦エリア

(きゅうきんせんじのどうぞうにょらいざぞう) 県指定有形文化財 平成18年3月3日指定 高麗(こうらい)前期(918~1100)の渡来仏で、松...
羽黒神社(はぐろじんじゃ)
松浦エリア

文治(ぶんじ)5年、神代出羽権守(こうじろでわのごんのかみ)という人が、羽黒山大権現の分霊を奉じ、奥州卒土ヶ浜を出、ここに「羽黒大権現の社号を奉...
遺跡・記念碑
調川道路公園(松浦水軍の兜)
松浦エリア

中世に活躍した武士団【松浦党】をモチーフにしたモニュメントが目印。 海沿いドライブの休憩所として市外の方からも多く利用されています。 松浦市は...
横島古墳
福島エリア

福島町喜内瀬免字新田の喜内瀬園地内の藪の中にある。ここはかつて小島であったが埋め立てられた現在では陸続きになっている。  古墳時代後半の6世紀中...
茶室調風亭
福島エリア

平戸藩主松浦家の家老であった熊沢家の所有である。建築年月は不詳であるが、茶室に掲げられている松浦家三十五世観中公の扁額から見て江戸末期(1850年頃...
白石参道の石灯籠
福島エリア

福島町原免、白石溜池の西側、今山神社に通ずる参道の入口に鳥居がある。その手前にある一対の石灯篭は、延宝四年(1676)造立されたものである。福島町内...
開田の七人塚
鷹島エリア

1274年文永の役で、鷹島に上陸した元軍は、我が防衛軍の不備に乗じて島民のほとんどを虐殺しました。船唐津免の開田付近は当時山深く、人目につきにく...
牧の岳史跡公園
鷹島エリア

鷹島で一番高いところに位置する、標高117mの牧の岳。島全域と四方をとりまく海を見渡すことができます。平戸藩時代、付近一帯は平戸和牛の放牧場だっ...
銅造り如来坐像
鷹島エリア

この仏像は、元軍が船に安置して礼拝をしていたものと言われ、大暴風雨のため船とともに海底に沈んだと伝えられています。江戸時代の終わり、ある漁師が原...
龍面庵
鷹島エリア

この龍面庵は、1281年弘安の役で鎮西奉行少弐経資の弟、景資が本陣を構えたところと伝えられています。運命の日、旧暦7月30日の大暴風雨により鷹島...
宮地嶽史跡公園
鷹島エリア

昭和45年に史跡公園として整備され、本島で最も眺めがよいところです。展望絶景の地で玄界灘が一望できる高台に宮地嶽神社、愛宕神社が祀られており、五...
高野の六地蔵塔
松浦エリア

(たかののろくじぞうとう) 高さは2.7mとかなり大型で、塔身は上下2段、4列に各12仏が彫刻されています。「干時天正十二年(1584)十一月吉...
松園休己の供養塔
松浦エリア

(まつぞのきゅうきのくようとう) 松園一族のひとり、松園休己夫妻の供養塔です。天文11年(1542)、平戸、志佐連合軍が今福の梶谷城を攻めたとき...
銀杏ヶ浦の五輪塔
松浦エリア

(いちょうがうらのごりんとう) 左側が五輪塔で、一部は室町中期、他は室町後期の作と思われます。中央と右側は宝篋印塔(経文を収めた塔)と江戸時代の...
上人様(じょうにんさま)
松浦エリア

この地方を大干ばつが襲ったとき、村人たちは餓死寸前まで追い込まれました。その様子を見た通りがかりの上人様が、自分を犠牲にして生き埋めとなり、土中...
刈萱城跡(城山)
松浦エリア

建久(けんきゅう)2年(1191)、源頼朝の命でこの地に下向した加藤左衛門重氏が、この地に刈萱城を築き、その後城を棄てて紀州高野山に移ったと伝え...
千人塚
松浦エリア

弘安4年(1281)、元の軍船4,000艘軍勢14万人が松浦沿岸に集結、大規模な戦いが展開される中、大型台風によって元軍艦船のほとんどが沈没し、...
梶谷城(かじやじょう)跡
松浦エリア

梶谷城は、今福町の今福城山(197m)山頂にある中世山城で、松浦氏の居城であったといわれます。 平安末期頃に築城され、山頂を楕円形に削り本丸を築き、...
鷹島神崎遺跡
鷹島エリア

鷹島元寇史
鷹島エリア

その他
平野漣痕群(ひらのれんこんぐん)
福島エリア

塩浜免字此の浦の上にあり通称「滑り岩」ともいう。今からおよそ1000万年~1500万年昔、浅海の底に水の流れや波や風によって堆積物の表面につくられたさざ...
尊光寺のマキ
福島エリア

福島町塩浜免の尊光寺の境内にあり、2本の幹が根元で相接しており分幹したものではない。目通り幹まわりは2.8mと2.0mで、高さは約18mもある大樹である...
浅谷浮立
福島エリア

伝承としては、堀江玄蕃が編み出した「玄蕃浮立」の流れだというが、学者によれば、肥前西部の舞浮立の系統であろうという。浅谷地区での起源は定かではな...
喜内瀬川甌穴群(きないせがわおうけつぐん)
福島エリア

おう穴(かめ穴ともいう)は河床の岩面に急流の渦によって転動する小石の磨食により生じた円形の深い窪みである。 喜内瀬川は平常は流れの少ない川である...
大山百人塚
福島エリア

福島町端免字荒平にあり、数十基に及び五輪塔、宝篋印塔が雑然と集まっている。これらの五輪塔、宝篋印塔の年代は土谷百人塚と同じころ(1,450年~1,600年...
大山の六地蔵
福島エリア

福島町端免字荒平にあり、大山百人塚から約20mの距離にある。この附近では子どもの神様といわれている。六地蔵は、地獄、餓飢、畜生、修羅、人間、天上の...
櫃崎岩脈(ひつさきがんみゃく)
福島エリア

第三紀層の砂岩を横切る黒色の玄武岩岩脈の先に、長径15mの楕円形の玄武岩の塊が盛り上がっている。 岩脈は、マグマ(岩漿(がんしょう))が他の岩石の割...
土谷百人塚
福島エリア

福島町土谷免字清水の土谷七郎神社の裏手の畑の隅ににあり、ここは昔お寺の跡だったともいわれているが定かではない。1m×2mの広さで、1mに積み上げた...
弁天島岩脈
福島エリア

里免899番地地先から約400m沖の弁天島にかけて高さ1~1.5m、幅1~5mの岩脈が断続的につづき干潮時は露出する。 この岩脈は、黄褐色の砂岩のさけ目に黒...
大河内家の古文書
福島エリア

今山神社宮司大河内家へ伝承されている古文書には、系図、神職の辞令等がある。 写真上は、大河内氏の発祥を示す系図で、始祖は清和源氏となっている。後...
御道具山
福島エリア

天正十七年(1589)吉井直谷城主志佐純意の重臣で福島の押役であった寺山団助が上意討の手勢に滅ぼされた後、寺山家の武具、家宝等を埋めたという伝説の石...
寺山団助の墓
福島エリア

松浦党の一族、志佐純意の重臣で福島の押役として鍋串に居城していた寺山団助は、文武に優れた武将として住民からも慕われていた。天正十七年七月十日、ざ...
堂様の仏像
福島エリア

寺山団助の霊をなぐさめるため建てられたお堂で、阿弥陀如来坐像を祠る。この仏像は室町時代のもので、台座には文政三年(1820)再興と記されてあり化粧直...
寺山団助妻女の墓
福島エリア

鍋串免字坪川にあり。天正十七年(1589)七月十日、志佐勢の夜襲を受け、夫の命により落ちのびようとした体月妙用(釈名)は侍女とともに追手にかかり、こ...
対馬小太郎の墓
鷹島エリア

里免清水川の南側丘の上にあり、対馬の守護代・宗助国の家臣、小太郎の墳墓です。 小太郎は、文永の役の際、対馬から元軍の襲来を大宰府へ報告するという...
兵衛次郎の墓
鷹島エリア

兵衛次郎は、元軍襲来を対馬小太郎と共に大宰府に報じ、また、小太郎と共に戦い鷹島で戦死した一人です。神崎免伊野利の浜、西南方の丘の上にお墓が建てら...
宗家松浦3代 松浦源二郎清公の墓
松浦エリア

(まつらげんじろうきよしこうのはか) 清公は、宗家松浦2代直(なおす)公の第2子で、嘉応(かおう)元年(1169)、父より御厨荘700町歩を譲り...
円成寺墓地の六地蔵塔
松浦エリア

(えんじょうじぼちのろくじぞうとう) この墓地内には3基の六地蔵塔があり、手前の塔は天正期(16世紀後半)の型をしています。後ろの左側の塔の傘は...
不老山
松浦エリア

(ふろうさん) 紀元前3世紀、中国の秦の始皇帝の命を受けた徐福(じょふく)が、不老不死の薬を探してこの山に登ったとの伝説から不老山と呼ばれていま...
志佐壱岐守純高公の墓
松浦エリア

(しさいきのかみすみたかこうのはか) 純高公は、平戸松浦26代鎮信公とともに朝鮮に出陣し、天正20年(1592)に20歳で戦死されています。公の...
宗家松浦13代 丹後守盛公の墓
松浦エリア

(たんごのかみさかるこうのはか) 盛公は、相神浦(あいこのうら)〈佐世保市相浦〉を貿易港として、長禄(ちょうろく)元年(1457)より朝鮮との貿...
宗家松浦10代 丹後守勝公の墓
松浦エリア

(たんごのかみまさるこうのはか) 向かって左から2番目が勝公の宝篋印塔です。梶谷城主として西有田の唐船城(とうせんじょう)を併有し、貿易や文化の...
松山田の六地蔵塔
松浦エリア

(まつやまだのろくじぞうとう) 塔身に3段の尊像が各段11仏、合わせて33仏刻まれています。中断には、卍を胸につけた珍しい尊像があります。造られ...
松園屋敷跡
松浦エリア

(まつぞのやしきあと) 代々白井や調川を領した地頭、松園氏の屋敷跡で、城と屋敷を合わせ持つ平山城の好例です。松園氏は天文11年(1542)、平戸...
白浜源介(助)の墓
松浦エリア

(しおはまげんすけのはか) 源介は直谷城主志佐純正の家老で、直谷城が永禄7年(1564)に平戸から攻められた際に、幼い城主の子を背負い、相神浦(...
お南様(墓所)
松浦エリア

(おみなみさま(ぼしょ)) 平戸松浦26代鎮信(しげのぶ)公に従って朝鮮に出兵した、志佐純高(すみたか)公の室で、通称「お南様」と呼ばれた方の...