鷹島エリア
2012年12月21日
1274年文永の役で、鷹島に上陸した元軍は、我が防衛軍の不備に乗じて島民のほとんどを虐殺しました。船唐津免の開田付近は当時山深く、人目につきにくい山奥に一軒家の8人家族が住んでいたところ、不幸にも飼っていた鶏が鳴いたため元軍に発見され、8人のうち7人が殺され、灰だめに隠れていたお婆さん1人が助かったと言われています。それ以来、開田では鶏を飼わないと伝えられています。
2012年12月21日
兵衛次郎は、元軍襲来を対馬小太郎と共に大宰府に報じ、また、小太郎と共に戦い鷹島で戦死した一人です。神崎免伊野利の浜、西南方の丘の上にお墓が建てられていて、石堂様とも呼ばれています。