お取り寄せ
パンフレット
松浦
志佐精霊流し 花火大会

2011年8月16日

8月15日、恒例の「志佐町精霊流しと納涼花火大会」が行われました。

お盆、終戦記念日、そして精霊流し・・・。

夏の終わりをいやがおうにも感じずにおれない一日です。

高校野球もいよいよ終盤ですしね。夏休みの宿題のことがちらちら頭をかすめる時期でもあるでしょう。

送り火や灯ろう流し等、還って来た死者の魂を舟などに乗せて送る行事は全国的に見られますが、長崎の精霊船はまた風情あるものです。いや、風情というより南蛮風に表現すればドラマティックといいますか。長崎市内などでは、中国文化の影響を受け、爆竹とともに船を練りまわし、海へと送るようで、なかなかの迫力。4連、5連とつないだもやい船や、故人が好きだったものを模った変わり船なども作られ、精霊流しのテレビ中継もあるほどです。

さて、志佐では藁を編んで作る昔ながらの精霊船を作っています。とくに立町の精霊船は、市の無形民俗文化財に指定されており、水を吸収しやすい藁を使った伝統的製法が受け継がれています。精霊船は庭見せなどが行われた後、お供物を載せ、志佐の商店街を練ります。松浦太鼓、こども太鼓の道行きもあります。夕暮れ時を過ぎ、夜の闇が町を覆うころ、船は担ぎ手の男衆とともに志佐川へと進んでいきます。提灯をつけゆらゆらと川に浮かぶいくつもの精霊船。なんとも哀しく美しい光景です。

精霊流しミニ (写真は今年のものではありません)

鹿の爪橋の橋桁をくぐり、河口へと船が近づく頃、お待ちかねの打ち上げ花火が上がりだします。

今年は1300発の花火が雨をついて打ち上げられました。

松浦鉄道の伊万里行き車両が鉄橋を警笛とともに渡る頃、花火と精霊船流しはクライマックスへ。

「わっしょい」の掛け声がところどころ打ち上げ花火の轟音にかき消されながら河口の一か所へと集まります。

花火ミニ (写真は今年のものではありません)

以前は、船自体を海へ流していましたが、今は環境に配慮し、まとめて回収し処分されるようになっています。

この日、志佐の町は、就職や進学で松浦を離れた人たちや田舎に帰省してきた人たちでにぎわい、橋の上ではところどころでミニ同窓会が開かれます。懐かしい顔、照れ笑い、冷やかし・・・。よきかな、旧き友よ。700年前からタイムスリップしてやってきた拙者、にわかに望郷の念がわきあがってきました。ああ、父上、母上、兄上、松子。皆々息災におはすか。母上の作る芋の煮物が恋しい。平成の世に来臨し19年、松之介はいまだ齢18にござる。。。

精霊船を見ていると我が家族のことや来し方などを思い起こしてしまいました。 とそこへ。「松之介、太鼓叩かんね!」とムチャぶりです。 松浦太鼓の山車に登らされ、見よう見まねでバチを握り一心に太鼓を叩きました。

芸歴19年、ムチャぶりはお手の物。見たこともないダンスを踊らされたり、50m走らされたり、たいがいのことに対応できます。

しかし、太鼓を叩いていると不思議と無心になり、タイムスリップにまつわる苦悩なども雲散霧消しました。ブラボー太鼓。と、また雨が降り出し・・・。

水濡れ厳禁の拙者、そこそこに退散してまいりました。