(更新日:2012年11月20日)
第2回まつうらとってあるき旅が無事終了しました。
1日目の参加者、下は3歳から34名。2日目が21名とたくさんの方にご参加いただきました。ありがとうございます。
11月17日(土)。1日目の朝はまさかの暴風雨…
雨がしとしと降るぐらいならかえって風情があってよいかのう、とも思いましたが風情も何も木端微塵となって北の海に吹き飛ばされそうな暴風と大雨。
しかし、参加者の方たちは、早くから完全防備でぞくぞくと集合され、皆さん「今日も楽しみにしてますよ」と笑顔。天気予報も午後からは晴れ間がのぞくといっているし、よい一日になるぞ、これは!だって講師の藤田さんは昨日からエンジンかかりまくってるもんね、と予定どおりの行程で開会。
そう、講師の藤田さんは今回のとってあるき旅を相当楽しみにされていたのです。
前日から松浦入りされ、まずは事務所で打ち合わせをした後、星鹿の漁港あるきに。といっても20分ぐらいしか時間がなかったのですが、港の石積みにひとしきり感嘆した後は、藤田センサーの赴くままにずんずんあるくあるく。朽ちた漁具や家屋の基礎石、井戸のぐるり、窓ガラス。なんでも見つけて「ほう!これはいいぞ。」「おー、こんなとこに!」「いやあ、みごとだ!まいった。」と続々と世間遺産を発見されていました。
藤田さんにかかると道具とくらしと歴史のつながりのなかでいかにものが生まれ作られたか、あっという間に読み解かれてしまいます。この星鹿の海で何があって、人々はどう暮らしてきたのか。そこまで藤田さんには見えているようです。
「ダンチクがたくさんある。ってことは、ここで育った牛の肉もうまいんだろうね。ダンチクを使って地酒のラッピングしたり魚を包んで売ったりテキスタイルアートなんかやればどう。」
「松浦の海は甘いんだよ。甘いから魚も甘いし、魚種も豊富なはずだ。売れ筋の魚ばっかりやらずに、脇役の魚、地の人が食べてる魚をいっぱいアピールして食べに来てもらうといいよ。」
などと話しながら、宿をとった青島へと渡って行かれました。
青島では民宿川上のおかあさんと意気投合し、夜は松浦市史を読みながら松浦水軍の末裔のことを遅くまで思いをはせていらっしゃったそうです。
そんな藤田さんなので、1日目はあこがれの「ひゃーし」が見られるとあって朝から興奮気味。
福岡から路地研(福岡路地市民研究会)の一団も加わり、市内外、県外の写真愛好家さん、そして個人参加の市職員といった多彩な顔ぶれでまずは志佐商店街のまちなかあるきからスタートしました。
志佐のまちは、500年ほど前まで入り江が現在の高野橋あたりまで湾入していたそうです。今の寿昌寺は昔、陣の内と呼ばれ、まさに志佐のお城があったところ。そこは石垣で囲まれ船着き場が志佐中学校の坂下あたりにあったそうですから、志佐の商店街付近はそのころは海の中だったわけですね。
その後、二又川だった志佐川が現在の河流に付け替えられ、入り江だったところに河土が堆積していくと江戸に入り新田開拓が進み、まず土が一番高く盛って丘陵状になった場所に海の神様・住吉神社が建てられました。神社といえば淀姫様ですが、淀姫神社の創建はもっと古く6世紀にさかのぼります。海にぽつっと半島状に突き出た岬にあり、昔は船で淀姫さんにわたっていたのでしょうね。
さて、住吉神社が建ちますと、浜家、浦家がどんどんと立ち並びだします。それが今の志佐商店街の原形となっているようですよ。350年前の地図を見ますと、現在の国道204号線をメインルートに、いわゆる小学校通りと昭和屋さん横の路地、そして今の旧バスセンター(住吉神社跡)から大師堂へ抜ける路地が当時もっともにぎわっていたことがわかります。
志佐はいなかだ、なんもなかぞ、といいますが、戦争や大規模開発がなかったおかげでほぼ昔の通りがそっくりそのまま残っているわけですね。というような説明のもと、路地をうねうねと撮ってあるいてみました。
志佐商店街の後は、いよいよ西木場のひゃーしです。
ひゃーしについては、約10年前から調査や保存の活動をされている元市職員の宝亀さんに簡単なレクチャーをお願いしました。
ひゃーしについてちょっぴり知識をもっていただいていざ現地へ。その頃にはすっかりお天気もよくなりあたたかな日差しがさしはじめました。
ひゃーしをきれいに剪定して待っていてくださったお宅を囲んで写真を撮りまくる皆さん。ひゃーしも誇らしげに見えますね。一本の槇の木を長年かけてアーチ状にしてある箇所で記念撮影しました。路地研の方々、藤田さん、ともに「来てよかった。これは一級品ですよ。」とうなっておられました。
ひゃーしにつづき、上志佐のおてやの滝へ。
朝までの大雨の恵みを受けて、普段はあまり水量の多くないおてやの滝がどうどうと水煙にけむる立派な滝に変身していました。
最後に1日目の講評です。ここでも機材がうまく動かず、時間をむだにしてしまうことがありました。皆様ご迷惑をおかけしました。
講評では、「写真は教わるものじゃない。何を感じ、どう生かすかということを即座に判断し切り取る。写真は自分の裸を見せることと同じです。怖いし恥ずかしいけど、自分の考えたことを画を通してこの場にいる人と共有することができるすばらしいものです。」というお言葉が。技術的なダメだしもあり、ものの見方に対する鋭い意見あり、でかなり熱い場となりました。
さて、この日は福岡からのグループと藤田さんが青島の民宿川上で宿泊です。
大慌てで港までお送りしました。
ギリチョンで船に飛び乗った皆さん、おおいに川上で盛り上がったそうです。