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松浦
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福寿寺の三十三観音像
福寿寺本堂入口の直ぐ右手の池の端に立っている多仏石憧である。
福寿寺本堂入口の直ぐ右手の池の端に立っている多仏石憧である。
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初崎海水浴場
初崎海水浴場(2024年) コバルトブルーに輝く美しい海に面した海水浴場です。白い灯台が目印! トイレやシャワーも完備し ...
初崎海水浴場(2024年) コバルトブルーに輝く美しい海に面した海水浴場です。白い灯台が目印! トイレやシャワーも完備し ...
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平野漣痕群(ひらのれんこんぐん)
塩浜免字此の浦の上にあり通称「滑り岩」ともいう。
塩浜免字此の浦の上にあり通称「滑り岩」ともいう。
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尊光寺のマキ
福島町塩浜免の尊光寺の境内にあり、2本の幹が根元で相接しており分幹したものではない。
福島町塩浜免の尊光寺の境内にあり、2本の幹が根元で相接しており分幹したものではない。
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横島古墳
福島町喜内瀬免字新田の喜内瀬園地内の藪の中にある。
福島町喜内瀬免字新田の喜内瀬園地内の藪の中にある。
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浅谷七郎神社社叢
浅谷七郎神社社殿の裏手によく発達している。
浅谷七郎神社社殿の裏手によく発達している。
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浅谷七郎神社社殿
福島町内にある六社の七郎神社のうち代表的な神社。
福島町内にある六社の七郎神社のうち代表的な神社。
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浅谷浮立
伝承としては、堀江玄蕃が編み出した「玄蕃浮立」の流れだというが、学者によれば、肥前西部の舞浮立の系統であろうという。
伝承としては、堀江玄蕃が編み出した「玄蕃浮立」の流れだというが、学者によれば、肥前西部の舞浮立の系統であろうという。
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茶室調風亭
平戸藩主松浦家の家老であった熊沢家の所有である。
平戸藩主松浦家の家老であった熊沢家の所有である。
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喜内瀬川甌穴群(きないせがわおうけつぐん)
おう穴(かめ穴ともいう)は河床の岩面に急流の渦によって転動する小石の磨食により生じた円形の深い窪みである。
おう穴(かめ穴ともいう)は河床の岩面に急流の渦によって転動する小石の磨食により生じた円形の深い窪みである。
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大山百人塚
福島町端免字荒平にあり、数十基に及び五輪塔、宝篋印塔が雑然と集まっている。
福島町端免字荒平にあり、数十基に及び五輪塔、宝篋印塔が雑然と集まっている。
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大山の六地蔵
福島町端免字荒平にあり、大山百人塚から約20mの距離にある。この附近では子どもの神様といわれている。
福島町端免字荒平にあり、大山百人塚から約20mの距離にある。この附近では子どもの神様といわれている。
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櫃崎岩脈(ひつさきがんみゃく)
第三紀層の砂岩を横切る黒色の玄武岩岩脈の先に、長径15mの楕円形の玄武岩の塊が盛り上がっている。
第三紀層の砂岩を横切る黒色の玄武岩岩脈の先に、長径15mの楕円形の玄武岩の塊が盛り上がっている。
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土谷百人塚
福島町土谷免字清水の土谷七郎神社の裏手の畑の隅ににあり、ここは昔お寺の跡だったともいわれているが定かではない。
福島町土谷免字清水の土谷七郎神社の裏手の畑の隅ににあり、ここは昔お寺の跡だったともいわれているが定かではない。
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寺山団助妻女の墓
天正十七年(1589)七月十日、志佐勢の夜襲を受け、夫の命により落ちのびようとした体月妙用(釈名)は侍女とともに追手にかかり、この地で悲愴な最後を遂げた。
天正十七年(1589)七月十日、志佐勢の夜襲を受け、夫の命により落ちのびようとした体月妙用(釈名)は侍女とともに追手にかかり、この地で悲愴な最後を遂げた。
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福寿寺のイロハモミジ
イロハモミジは、南日本と朝鮮半島の山地に自生するが、広く栽培されて、多くの品種ができた。
イロハモミジは、南日本と朝鮮半島の山地に自生するが、広く栽培されて、多くの品種ができた。
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福寿寺の本尊
福寿寺は、里免字神ノ上にあり、曹洞宗である。
福寿寺は、里免字神ノ上にあり、曹洞宗である。
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七宮神社社叢
里免字神ノ上にあり、イロハ島を見下す、絶景の社である。
里免字神ノ上にあり、イロハ島を見下す、絶景の社である。
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弁天島岩脈
里免899番地地先から約400m沖の弁天島にかけて高さ1~1.5m、幅1~5mの岩脈が断続的につづき干潮時は露出する。
里免899番地地先から約400m沖の弁天島にかけて高さ1~1.5m、幅1~5mの岩脈が断続的につづき干潮時は露出する。
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今山山桜
今山神社前の町道の路肩にあり、目通り幹囲約1.8m、高さ約13mである。
今山神社前の町道の路肩にあり、目通り幹囲約1.8m、高さ約13mである。
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今山神社社叢(いまやまじんじゃしゃそう)
この社叢は、スダジイを主とした自然林で、その大きなものは目通り幹囲3.35mもある。
この社叢は、スダジイを主とした自然林で、その大きなものは目通り幹囲3.35mもある。
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今山神社の懸仏
懸仏は平安中期の神仏習合の信仰から生まれたもので、江戸時代初期に姿を消した。
懸仏は平安中期の神仏習合の信仰から生まれたもので、江戸時代初期に姿を消した。
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大河内家の古文書
今山神社宮司大河内家へ伝承されている古文書には、系図、神職の辞令等がある。
今山神社宮司大河内家へ伝承されている古文書には、系図、神職の辞令等がある。
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原稲荷神社のクス
原の稲荷神社の境内にクスの巨木がある。目通り幹囲4.8mあり、福島町内で最も大きいクスである。
原の稲荷神社の境内にクスの巨木がある。目通り幹囲4.8mあり、福島町内で最も大きいクスである。
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白石参道の石灯籠
福島町原免、白石溜池の西側、今山神社に通ずる参道の入口に鳥居がある。
福島町原免、白石溜池の西側、今山神社に通ずる参道の入口に鳥居がある。
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御道具山
天正十七年(1589)吉井直谷城主志佐純意の重臣で福島の押役であった寺山団助が上意討の手勢に滅ぼされた後、寺山家の武具、家宝等を埋めたという伝説の石積。
天正十七年(1589)吉井直谷城主志佐純意の重臣で福島の押役であった寺山団助が上意討の手勢に滅ぼされた後、寺山家の武具、家宝等を埋めたという伝説の石積。
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寺山団助の墓
松浦党の一族、志佐純意の重臣で福島の押役として鍋串に居城していた寺山団助は、文武に優れた武将として住民からも慕われていた。
松浦党の一族、志佐純意の重臣で福島の押役として鍋串に居城していた寺山団助は、文武に優れた武将として住民からも慕われていた。
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堂様の仏像
寺山団助の霊をなぐさめるため建てられたお堂で、阿弥陀如来坐像を祠る。
寺山団助の霊をなぐさめるため建てられたお堂で、阿弥陀如来坐像を祠る。