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松浦
松浦家の歴史

松浦家の由来

諸説ありますが、広く伝えられている話によれば、1069年、渡辺綱の曾孫にあたる源久(みなもとのひさし)は、宇野御厨検校を任ぜられ、松浦郡今福に下向。梶谷城を築き、松浦から彼杵の一部、壱岐、五島を含む広大な宇野御厨を支配下におさめ、7人の息子を各地に配置し、血縁、地縁によりその支配を広げ、48家とも52家ともいわれる松浦家の礎をつくったといわれています。

松浦家は、後に「松浦党」といわれる武士集団を形成。
唐津、伊万里から佐世保・東彼、壱岐、五島列島までを統治し、大陸との交易などによりおよそ500年にわたり栄えました。
戦国時代に入り平戸松浦氏が興り、1566年、松浦宗家は平戸松浦家の軍門に下り、その歴史に幕を閉じることとなります。

渡辺綱(わたなべのつな)
⇒酒呑童子退治の伝説など豪勇で知られ、主君源頼光に仕えた。子孫は滝口武者として内裏警護役や水軍統括を行うなどし渡辺党と呼ばれるようになった。

宇野御厨検校(うのみくりやけんぎょう)
⇒荘園の監督役職

宇野御厨
⇒神社、皇室に野菜や果物、魚介の海産物を調進するための御供所

史跡めぐり

松浦党