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松浦
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2013年01月07日
御道具山
天正十七年(1589)吉井直谷城主志佐純意の重臣で福島の押役であった寺山団助が上意討の手勢に滅ぼされた後、寺山家の武具、家宝等を埋めたという伝説の石積。
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2013年01月07日
寺山団助の墓
松浦党の一族、志佐純意の重臣で福島の押役として鍋串に居城していた寺山団助は、文武に優れた武将として住民からも慕われていた。
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2013年01月07日
堂様の仏像
寺山団助の霊をなぐさめるため建てられたお堂で、阿弥陀如来坐像を祠る。
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2013年01月07日
寺山団助妻女の墓
天正十七年(1589)七月十日、志佐勢の夜襲を受け、夫の命により落ちのびようとした体月妙用(釈名)は侍女とともに追手にかかり、この地で悲愴な最後を遂げた。
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2012年12月21日
対馬小太郎の墓
里免清水川の南側丘の上にあり、対馬の守護代・宗助国の家臣、小太郎の墳墓です。
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2012年12月21日
兵衛次郎の墓
兵衛次郎は、元軍襲来を対馬小太郎と共に大宰府に報じ、また、小太郎と共に戦い鷹島で戦死した一人です。神崎免伊野利の浜、西南方の丘の上にお墓が建てられていて、石堂様とも呼ばれています。
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2012年12月20日
宗家松浦3代 松浦源二郎清公の墓
清公の第2子、志佐六郎貞(さだむ)公は、志佐領を継ぐにあたり、亡父清公をこの地に葬り、若宮神社として祀られました。
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2012年12月20日
円成寺墓地の六地蔵塔
この墓地内には3基の六地蔵塔があり、手前の塔は天正期(16世紀後半)の型をしています。後ろの左側の塔の傘は非常に珍しい網代型(あじろがた)をしており、いずれも貴重なものといえます。
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2012年12月20日
不老山
中国の秦の始皇帝の命を受けた徐福が、不老不死の薬を探してこの山に登ったとの伝説から不老山と呼ばれています。
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2012年12月20日
志佐壱岐守純高公の墓
純高公は、平戸松浦26代鎮信公とともに朝鮮に出陣し、天正20年(1592)に20歳で戦死されています。公の遺骸は酒漬にされて送られ、この地に葬られました。